ダンボールの日本における歴史

1856年の英国で、ダンボールシートの原型が発案されて以来、ほぼ半世紀後の1909年には、日本で井上貞治郎によるダンボールシートが発案されます。井上はこのダンボールシートに段をつけ、波状シートの製造に成功します。シートに段をつけたので、「段ボール」と命名。英米より約半世紀ほど遅れてはいますが、日本ダンボール産業の曙といえます。

時おりしも明治時代末期、日露戦争勝利の喧騒もひと段落ついた時期。日本は富国強兵の真只中で日本のダンボール企業は大きく発展を遂げることになります。ダンボールの需要は、1914年から参戦する第1次世界大戦による産業の勃興により一気に増え、「ダンボール箱の方が木箱より軽くて強靭、しかも経済的」と注目を集めるともに、戦争経済のお蔭で木材や釘(金属)などの不足という要因もあって、木箱からダンボールへの転換に弾みがついたのでした。

第一次大戦初期である1915年頃のダンボールは、波型シートや片面シートのダンボールが多かったのですが、両面ダンボールシートも製造され始め、電球や化粧品、医薬品類に使用され始めました。1923年に突如発生した関東大震災は非常に不幸な惨事でしたが、その後の震災復興で、またもやダンボールシートの特需となります。

大正時代が明けて昭和元年の1925年に、ひなの輸送や日本絹産業に不可欠の稚蚕(幼蚕)の飼育にダンボール箱が国内で初めて使われた歴史的には画期的な時期でしたた。その後1931年には蟹工船で有名なカニの缶詰の包装に、さらに1933年に陶磁器などの輸出用外装用にダンボール箱が使用され始めました。

日中戦争と太平洋戦争の直前である1940年に、日本のダンボール産業の総生産量もピークに達します。しかしながら大戦中の本土空襲が、1944年には全土で本格化し始め、日本のダンボール産業はそのほとんどの生産設備と資材を焼失してしまいました。我が国ダンボール産業は明治以来の富国強兵政策とその一線上である戦争とともに興隆を描いて見せましたが、皮肉なことに戦争の敗戦によって壊滅的な打撃をこうむる結果となってしまいました。