日本ダンボールの質的発展とオーダーメイドダンボール

1960年の安保闘争後、条約の自動延長を国会で批准させ、岸内閣は総辞職。1964年の東京オリンピック開催と東京・大阪間の新幹線開通は、池田内閣の「所得倍増計画」は、国内需要と個人消費を引き上げ1965年から1970年の「いざなぎ景気」として開花します。

当然のことながら、これら一連の高度経済成長につれ、ダンボール産業は急速な拡大を見せることになります。急拡大する個人消費は、冷蔵庫やテレビなどの大型家電製品の販売を促し、それに伴ってダンボール生産量は、1961年からほぼ13年間にわたって毎年二桁成長を遂げます。生産量の量的拡大は必然的に量から質の転化へと発展します。

1966年には、美化粧ダンボール、変形ダンボール、強化ダンボールなど、ダンボール産業は包装の技術を巡って実験が各社で行なわれ、ダンボールの質的競争の時代に入いりました。現代における「オーダーメイドダンボール」の発芽ともいえます。とはいえ、当時は大量生産が前提でしたので、カスタムメイド的な現代の量産は後の時代を待たなければなりません。

資材や商材を輸送するための単なる紙箱という使用目的とは別に、成形前のダンボールシートに直接印刷(プリント)する技術が発展し、ダンボール箱に広告媒体としての役割を持たせることが可能となってきました。今ではトレードマークとして有名な「0123」や「クロネコ」のイラストなど引越し業者のダンボール箱のあれです。

1966年に各社が競ってダンボール箱の活用可能性を追求したことが、現代では常識となっているオーダーメイド型ダンボール箱の生成期にあたるといえます。

さてプリント型ダンボール箱であるオーダーメイドダンボールは、色合いや紙の材質、形状、サイズに応じて作成され、発注量の最小単位は100枚となるといいます。

プリントはオーダーメイドダンボールを作成する一手段であり、会社のロゴやキャラクター、図柄などを印刷します。ダンボールの種類や大きさによって異なりますが、シートの全面印刷から部分印刷まで、幅広く対応されています。

一方ダンボールのプリントとペイントは基本的に違い、ペイントというのはオーダーメイドダンボールとしてペイントするのに、一つ一つのダンボール箱に一種のアートを施す、いわば「カスタムメイドダンボール」と言ってもよいでしょう。

ダンボールの大きさや色、あるいは形状など幅広く選択でき、用途も様々なものに対応してデザインを施すことが可能で、贈り物用の化粧ボックスとしても有難がられるという利点があります。

それらの究極的なのアート作品として、イタリアのスーパーカーをダンボールで模造した「ダンボールギーニ」があげられますが、これについては次回に詳しく述べます。